恋愛に本気になったことなど、ない。
F
義務的に毎日をこなしているような感覚。勉強も人付き合いも、自分にとってはただ"なんとなく"やっているだけ。
授業に出て、口を開かずに教師の言ってることを聞いて試験前に勉強をちょっとすれば成績には困らなかったし、
微笑を浮かべて話しかければ相手は『いい奴だな、お前』とすぐに言い、女子なんかは顔を赤らめながら『優しいね』と言った。
愛してる、なんて言葉を囁かれても全然嬉しくなかった。自分を必要とされたって自分には必要ないと切り捨てた事もあった。
何でもヤるだけヤって自分が切り捨てられる前に、さよならを言った。世界は広いらしいから、自分の代わりも相手の代わりもスグに見つかる。
相手はどうだかしらないが、自分の方は探す訳でもなくみつかったりした。
他人の目を気にして関係を秘密にすることをもちかければ首を振る女なんていなかった。
別れた後に自分に不利な噂を流されるようなヘマだってしない。
自分以外は馬鹿ばっかりだと思えば楽なのかもしれない。
本当は自分が一番の馬鹿だということに気がついている自分に、ある種"酔っている"と嘲った。
世間からみて、自分達は"まだまだ始まったばかり"の中学生。何が始まったというのか。何が、終わるというのか。
わからないことだらけだけど 世の中なんてクソだ と呟いてみた。
A
「は まだ残ってるんかの」
何事にも一生懸命な人、という印象だった。仁王の言葉に明るく笑った彼女の顔を思い出す。
自分のように作っている笑顔ではなく純粋な笑顔。柳生は、彼女には白という色がが似合うと思う。
彼女が何色が好きなのかなんて知りもしないが、きっと白や淡色系だろうと考えて暗く深いモスグリーンが好きな自分とは全然違うなと思った。
彼女が赤や黄色など奇抜な原色の色が好きだと言ったところで別に自分には関係ない。ああそうですか、で終わる。聞く予定も機会もないのだが。
「仁王君は本当にさんが好きなんですね」
そう言うと仁王は眉を寄せて そんなんじゃなか、と言った。―――本当は知っている。仁王が好きなのはまた別の女の子で、彼は彼女の相談によくのっているだけ。
知っている。彼女が好きなのは自分ということも。
喋ったことすらないが、柳生はを苦手だ、と思う。だから早く自分の事を諦めればいいとばかり考える。白が似合う彼女。仁王に恋愛相談をする彼女。
吐きそうになるくらい純粋そうな笑顔。苦手だ。早く告白でも何でもいいからアクションを起こしてくれれば、切捨てたりだってできるのに。
そうした時の仁王を想像して、面倒だとも思うが所詮他人の問題だ。仁王が柳生にもたらす影響はしれているだろう。
そこまで考えておいても無意味なこと。柳生は本当にが自分に何もしないことに苛立ちさえ覚えていた。だいたいクラスも違えば部活も違うし、話すらしたことないのに自分の何処が好きだというのか。
小一時間問い詰めたいぐらいだ。そんな女はいっぱいいた。『全国大会2連覇、王者立海大』というテニス部のレギュラーになってから、そんな奴が増えた。
だってそのうちの一人でしかない筈なのだが、その存在と自分のダブルスパートナーが味方という所がものすごく柳生からしたら鬱陶しい。
仁王が言うには、彼女は珍しくテストで先日の赤点をとったとか。それで今日は補習。その後自主勉強をすると意気込んでいたらしい。
一生懸命な彼女のことだ。もう外は暗い。女子が一人で帰るのは危険、と思って仁王は言ったのだろう。
柳生からすれば、数学なんて公式と法則を覚えてしまえばテスト勉強なんてしないでも全く支障のない教科で、赤点なんて論外だった。
・・・それがどうした。彼女と自分は無関係。
「仁王君、数学得意でしょう。教えてあげればいいじゃないですか。」
「そげん面倒なこと、俺がする訳なかろう」
「そうですね。そういうと思いました。」
仁王が言わんとしていることが手に取るようにわかる。
「そんなに言うんじゃったら、柳生が教えてやればよか。おまん、全教科得意じゃろ」
ほらやっぱりそう言いましたね。柳生は、少し困ったように さんとは話したことがないので と返す。―――いや、ちょっと待て。
その時柳生にひとつ、厄介な彼女を切り捨てる策が浮かんだ。
「でも、わかりました。そうしましょう。」
仁王は暫く目を丸くしていたが、ニヤリと笑った。彼は知らないから。柳生が彼女をよく思っていないことを。
「ほんまか。も喜ぶじゃろ。あいつは俺のお気に入りじゃけ、優しくしたってよ」
「もちろんですよ。」
柳生も、顔には出さずにニヤリと笑った。
K
「遅くまでご苦労じゃったの」
「・・・・・・・・・仁王?」
「もう暗い。おまんも一応女子やけ、送る。」
「一応って。・・・・ま、ありがとう。」
「気にせんでよか。」
本当には、こんな遅くまで残っていた。仁王が来なかったら、一人で帰るつもりだったのだろう。
毎日遅くまで部活をするテニス部が終わっても彼女は勉強道具をしまおうとしている様子はなかった。
早うしんしゃい、そう言われては慌てて鞄へとそれをしまう。
「ごっごめん!」
彼は無言のまま靴箱へと向かう。彼女はそれを追いかける。なんだか恋人同士のようだが、二人の関係はそのようなものではない。
「そういえば、良いニュースがあるぜよ。」
ニっと笑って彼は続ける。
「柳生のやつが、さえ良いなら数学教えてくれるって、言っとる」
「え!?ほ、本当!?」
「嘘言うて何になる。ホントじゃ。」
俺もびっくり。そう言いながら空を見上げる彼は、驚いた彼女の顔を頭の中で繰り返す。目を丸くして、顔を赤くして、喜ぶ彼女の顔を。そんなに嬉しいか。繰り返す。
「良かったな。これでやっとおまんの頭も数学が理解できるようになる」
「・・・・・・・うわー ちょっと腹が立つけど、言い返せない」
「悔しかろ?」
「・・・・悔しい」
「じゃー これから頑張りんしゃい」
「・・・・・・・うんッ」
元気に返事するのペースにあわせて、彼も歩く。彼は少しからかいながら、彼女のことを気にかけて、もう明日からは早う帰って家で勉強したら?と言うと
彼女はそうする、とにっこり笑いながら言う。よっぽど好きな人に勉強を教えてもらえるのが嬉しいのだろう。今の顔も彼の頭に焼きつくように、頭の中で繰り返される。そんなに嬉しいか。繰り返される。
あっという間に彼女の家の前についた。殆ど話題は数学の話(つまり柳生の話)。話た事もないのに、数学を教えてもらうなんて!だとか馬鹿がばれちゃう!とか。彼女は、元気だ。
「ほな、また明日」
「うん、ありがと」
彼女の言葉を聞くよりも先に彼は歩き出していて、手だけをひらひら振っていた。『仁王』がすると、すごく格好のついた動作である。その背中を見て、もう一度、彼女は言った。
「・・・・ありがと、柳生君」
彼は驚いて振り返ったが、もう彼女の家のドアがぱたんと閉まる音がしただけだった。
E
「にバレとるようじゃ、おまんもまだまだじゃの」
「・・・・君が教えたのではないのですか?」
いつも通りのポーカーフェイスだけれども、柳生は相当参っていた。にアレコレ喋らせて実は自分が柳生だということを暴露すれば話が進んで、自分のペースで"彼女の事"を何とかできると思ったからこそ数学を教えるという条件を呑んだのだ。――――話は進んだのには進んだが。
「そんなことせやんでも、チャームポイント忘れとったら、誰でも気づくんとちゃう?バレバレ。」
ケラケラと彼は笑った。自分のした失態。仁王の特徴(しかもすごく重要)である口の下のホクロを付け忘れていたこと。
「それに俺のお気に入りじゃ。はそんなに馬鹿じゃないぜよ」
そして彼女を甘くみていたこと。最初から疑っていたらしい。歩くペースをあわすなんて俺はせんよと笑われた。・・・仁王を甘くみていたこと。詐欺師という異名を忘れていた。冷静になってみればという人物について自身がアレコレ考えていただけであって、"嘘じゃない"のは彼女が自分のことを好いているということだけだった。
数学で赤点もとっていない(でも不得意らしい)ことが後にわかった。―――嵌められた。
それよりもずっと後に、彼は彼女の好きな色が黒か赤だということを知って驚かされる。ばりばり原色だ。白と全く正反対の、モスグリーンより暗く深い 黒。
あれから、柳生のの印象がガラリと変わった。そして気づく。既に自分は彼女に嵌っていたのだ、と。最初から。
恋愛に本気になったことなど、なかった筈なのだが。
070131wed