前日はメールの嵐だった。
私 がエスカレーターを使って立海の付属高校に進学せず外部受験をすることは周知のことだった。
進路に特別な希望がある訳でも、立海の教育や環境に不満があった訳でもなく、これは入学した時から決めていたこと。
両親も何かしら理由があるのだろうと思ってなのか、反対は一切しなかった。外部受験で得るものはあっても失うものは少ないからだと思う。
中学校生活を共に過ごした仲間達との別れはつらいけれど、外部受験を選んだことに後悔はない。
進学先での新しい生活がどんなものになるかという不安だってある。しかしそれは同時に”わくわく”でもある。外部受験を選んだことに後悔はない。
受信された全てのメールに丁寧に返信をするのは時間がかかるし面倒だった。
だいたい同じ内容なので最初の2,3通は文章を考えていた。しかし申し訳ないと思いながらも4通目からは同じ文章の一部を変え、一言加えるだけ。
中には私の外部受験には触れていないメールもあった。
明日泣くかなぁ?
中学校生活に悔いが残らないように!
最後、退場する時に、
ついに明日卒業!・・・・
内容はさまざま。もともとメール無精な私は、夜には携帯の着信を示す光の点滅に気づかないフリをしていた。
E a s y C o m e , E a s y G o
そしてあっさりと卒業式当日を迎える。
当たり前だ。時計は等間隔で時を刻み続けているのだ。地球は律儀に今も回り続けているのだ。携帯を開いてみると、何通か受信していた。
そこに当然、返そうと私が思うようなメールはなく、一通り目を通すだけで其れを閉じた。”いつも”より早く玄関に立ち、3年間通った通学路をゆっくり歩く。
絶対に一番最初に登校したと思ったのに、私が教室についた頃には既に何人かが其処にいた。
「おはよう、」
「おはよう。ついに今日卒業だね。信じられない!」
「ほんとに。あっという間だね。」
殆どの荷物は数日前に持ち帰った。殺風景な教室で、一番仲のよい友人と言葉を交わす。
「・・・・こんな風に、おはようって此処で挨拶するのも、もう最後だねぇ」
「―――― ・・・・式の前にあたしを泣かせたい訳?そういうしんみりする会話は後にしてよ」
「ありゃ、そりゃごめんね?」
「ちっとも申し訳ないようには聞こえないんだけど??」
「うん。申し訳ないなんて思ってないもの。”此処で”って言ったでしょう?何、もしかして明日からも貴女もこの教室に来て、私に挨拶させる気なの??」
彼女と笑う。此処で、この教室でこの制服でこの時間に『おはよう』と挨拶することは最後であっても、私が外部受験で付属高校に進まなくても、今日で最後ではないのだ。きっとまた会う。会いたい。
「ふふ。貴女って相変わらず!それでこそあたしの親友ね!!」
「そうでしょう。そうでしょう。私の親友であったことをいつまでも誇りに思ってなさいな」
「・・・もう、本当貴女は・・・・式の前にあたしを泣かせたい訳??―――ねぇ、昨日のメール見た?」
「うん、今朝。」
「ほんっと相変わらずね!・・・それで、どうするの?」
「何が?」
彼女の言わんとしていることは、本当はわかっている。
「グリーンのことよ」
「グリーン?ああ、彼は高校でもテニスを続けるだろうね。」
「とぼけるのもいい加減にして。今朝メール見たんでしょ?―――このままでいいの?」
このまま。何も接触しないまま。
グリーンとは同じクラスでテニス部レギュラーの柳生比呂士のことだ。テニグリーン。女子はこういう誰かに聞かれてはまずい―――恥ずかしい話をする時、ニックネームをつけ使用する。
どうでもいいえど由来は、彼女と勝手に立海戦隊テニレンジャーとか言ってテニス部レギュラーを当てはめた時に、彼はグリーンになった。好きな色もモスグリーン。一番最初に決まった。
何して遊んでるんだ私達。でもこういう話の時はとても役に立つ。
私は約1年間彼が好きだった。・・・過去形。2年次から同じクラスの彼。いつの間にか好きになっていた。だから、約1年間。人気モテモテの―――レギュラーになる前から好きだった。個人的に話をしたこともわずか―――いや無いのだけれど、気がつけばいつも彼を目で追っていた。
友人の誘いに乗って、テニス部の練習や試合を見に行ったこともあった。他のレギュラーよりも人気がないらしい彼はファンも少ないようだった。
けれども中には やはり私のように 彼に惹かれた女子もいて、彼が告白されたと聞いた時は泣きはしなかったけれども何だか気持ちが沈んだなぁ。
それももう過去のこと。
「いいの。言ったでしょ、今は何とも思ってないの。」
「・・・でも記念に何か――ほら、ボタンとか」
「もらえって?嫌よ。それにそんな勇気ないよ」
「それでもやっぱり最後だし」
「だーかーらー今はもう何とも思ってないって言ってるでしょ?」
「思い出に―――、そんな風に言ってるけど、本当は今も好きでしょう??」
冷静を装って何を言うのよと口に出しつつ、内心私は焦っていた。その頃には、教室に人も増えていてすぐに教師が現れ、このクラス最後のショートホームルーム。彼女は尚も何か言いたげな顔をしていたけれど話は其処で強制終了。
助かった。と思ったのは私だけの秘密にしておくことにした。
予行通りに式が淡々と進む。
――― 今、皆さんの頭の中には、この立海付属中学校で過ごした3年間の思い出が・・・・
私の頭の中に柳生君との思い出は、ほぼ無いに等しい。でも、ずっと見ていた。彼をずっと、約1年間好きで、見ていた。
ねぇ 貴方は知らないでしょう
わからないでしょう
わかるはず、ないわ
私にだって ちゃんと よくわからないのだから
あっという間に式は終わり、気がつけば教室には数える程しか人はいなかった。
その間、私は確かに感動的な答辞で泣いたし、クラスで何か一言ずつ言う時もちゃんとお別れの挨拶と感謝の言葉を言った。
卒業証書、卒業アルバム、卒業記念品。写真を撮ったり、アルバムの寄せ書きスペースに一言書いてもらったり。
女の子達は、エスカレーターで高校が一緒なのにもかかわらず卒業というイベントを良い機会とばかりに、想い人にボタンやネクタイをもらっていた。
「・・・行ってくる!」
私の親友とて例外ではない。彼女の目当てはテニブルー。詐欺師の仁王雅治。
「行ってらっしゃい。此処で待っとくね」
そう言って彼女が出て行ってから暫く経った。ほとんどの部活は集まっているらしいし、テニス部の場合、今日も練習をしてそうだ。絶対ネクタイをもらう!と意気込んでいた彼女を思い出す。もらえただろうか。
「お、、悪いがこのクラスの一員として最後の仕事を頼まれてくれ。」
そして卒業アルバムや卒業記念品の入っていたダンボールを片付けるように命じられたのが、さっき。少し自分を遅くまで待たせた友人を恨めしく思った。が、特にすることもなく暇なので爽やかな笑顔で引き受けた。最後までこんな、こんな中学校生活。
そんな風に呟いたが、何だか心は晴れやかだった。どうせなら勇気を出してテニグリーン―――柳生君に最後に喋りかければ良かったかも。
「おや、さん。・・・・私が持ちましょう」
「!!!いや、いいよ。えと、ほら、軽いし!中身入ってないし!」
そう思ったときだった。こんなことってあるのだろうか。いや、現に今あったことなのだが、柳生君が、柳生君がタイミングよく現れ、私に声をかけてくれた。私は思ってもいない事だったので、驚きのあまり全身で柳生君の親切を拒否した。可愛くない、と自分で思う。
「そ、それに、持ちたいの」
泣きたい。自分のこの可愛くない所に泣きたい。
「・・・・・・・・・では、持ちません。その代わり、ご一緒しても?」
「え!?あ、うん。いいよ。全然いいよ」
全然いいって何だよ。と自分に毒づく。柳生君の意図していることが全くわからなかったけれど承諾した。正直すごく嬉しい。体温があがってゆく。顔は赤くないだろうか。ああ、こんな事態になるならば、化粧をし直しておくべきだった。
余裕はないが思考を巡らせる。柳生君は私の隣を歩いた。歩いている。歩いている。歩いている。・・・・しつこい。
「さんは、外部受験なさったのですよね」
「あ・・・ああ、うん」
「寂しくなります」
「うわぁ。ありがとう。柳生君にそう言ってもらえるなんて、・・・嬉しいよ」
自分の発した一言一言に何言っちゃってるの、何でもっと可愛らしくできないのと脳裏で文句を言う。今のは素直になれた。ああ、でもきっと柳生君は建て前だと思っているだろう。
「私達が現役の時は、何度か練習や試合を見にきてくださいましたね。もう半年程前のことですが・・・ありがとうございました。」
「あー 見に行ったね。楽しませてもらったよ。今も目に焼きついてる。こちらこそ良い試合をありがとう。」
貴方目当てに行きました。なんて言えない。ああ、ホント可愛くないな。今の言い方じゃ、たいして興味がないみたいじゃないか。
教師に言われた場所につき、ダンボールを置く。柳生君との時間が終わる。終わってしまう。
「・・・・さん、」
柳生君って意外と喋るんだなぁ・・・。そうわかったのがこの学校に来る最後の日で、柳生君と過ごす最後の日だと思うと泣きそうになった。でもラッキーだったよ。ホント、ラッキーだった。最後に貴方の事を知れた。貴方と話ができた。
「よかったらまた、いつでも、試合を見に来てください」
お元気で、と彼は去ってゆく。
ありがとう
ありがとう 柳生君
私、頑張るよ
勇気をありがとう テニグリーン
私のヒーロー
「うん。絶対行く。テニス、これからも頑張ってね」
私の中学の卒業式の思い出。